2013年9月14日土曜日

エルサレム旅日記5

エルサレム旅日記1
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エルサレム旅日記2
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エルサレム旅日記3
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エルサレム旅日記4
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9月6日(金)

フリータイム最終日。記者氏が死海へ連れていってくれるという。
エルサレムの中心から死海のビーチまでは車で小1時間。
バスもあるが便数が少なく何かと不便な地なので、ありがたや〜。





道中、小高い丘に建て売り住宅のようなものが並んでいるのが見える。
「あれがいわゆる入植ですよ」
ヨルダン川西岸のパレスチナ人の地区に、
イスラエル(ユダヤ人たち)の家が建設され続けている。
中東和平交渉は果たしてどうなっていくのだろう。







景色は荒涼とした大地に変わっていく。
遊牧民のバラックのような家が時折姿を見せる。
道沿いの土産物屋には観光客用のラクダもいる。
海抜ゼロの表示。
死海は更にマイナス約420mに位置する。
ちなみにエルサレムは800m超だ。










さほど観光化されていないビーチに案内してもらう。
向こう岸はヨルダンだ。
暑さのピークの8月を過ぎており、また、午前中のため、気温は39℃、
しばらくは耐えられるレベルではあるが、長時間はキツいな。
水辺に降りる手すりは、塩と泥とサビが混ざったネトネト状態。
足だけ浸かってみる。水は生温かい。
舐める。強烈。塩分濃度30%。


帰りはオリーブ山に寄り、岩のドーム方面を眺める。








午後は再び旧市街へ。
結局、毎日通ったけれど、飽きない。
ここはユダヤの正月やイスラムの安息日であっても比較的多くの店が開いている。














一昨日見た、居眠りの布屋のオヤジが、まったく同じ姿勢で寝ていた。
靴修理屋?のオヤジは一心不乱に眉毛やヒゲのお手入れをしている。


そうそう、今回の旅で、私は「鏡をやたらにじっくり見る男」を8人くらい見た。
あるカフェでお茶していた時には、
テイクアウトの料理を待つ間に壁一面ある鏡のなぜか同じ位置で
じぃーっと自分の顔を見つめる男が連続3人いた。
ブティックのショーウィンドーのガラスに向かって、あれこれポージングしている男も見た。
何だこの傾向は。ナルシスト?

それから、やたらに男同士が道端でしゃべっているという印象が強い。








あてどころなく気ままに歩いていると、子供が近寄ってきて、
「どこへ行きたいのか?」と英語で聞いてくる。
迷ってはいない、ただ歩いていたいのだと言っても、しつこく聞いてくる。
「行きたい所へ案内する、少しお金をくれれば」と言い出す。
エルサレムは、かなり英語が通じる土地だ。
こんな小さな子供たちさえ、生きるため、英語を覚えるのだな。



記者氏おすすめの店「アブ・シュクリ」でフムスを再び食べる。
たっぷりのフムスに、ファラフェル3個、トマトとピクルス、ピタパンが2枚ついてくる。
缶ジュースをつけて25シェケル。

ここのフムスは、マヨネーズのコクにも似た味わいとなめらかさ。
客が帰った後、店員は皿をバケツに入れ、手つかずのピタパンは別に回収している。
次の客に出すのだろう。
ということは私のこのピタパンも、そういうことだ。




私が店を出た途端、店員は掃除を始めた。
閉店ギリギリガールであった。良かった。





昨日までの3日間、旧市街で見かけた日本人はあの青年だけだ。
しかし今日は、若い男女のグループや、学生らしい男2人組も見た。
パッと日本人とはわからないのだが、手に持つ『地球の歩き方』で確認ができる。
外国人からすると、ひょっとしてあれは日本語の聖書だと思われているのではないだろうか。

オーストリアン・ホスピスの前では、昨日にも増して兵士の数が多い。
何かあったのだろうか、観光客たちが注目している。
しかし、彼らの雰囲気は和やかだ。
プロのカメラマンと思われる欧米人が夢中で彼らを撮っているので、
なんとなく私も負けていられないと一緒になって撮る。
あっちはいいレンズ、こっちはただの標準レンズだけどさ。
意外とカメラ向けても怒られないのねえ。






旧市街を出たところで、中年の男に声をかけられた。
真っ黄色のTシャツを着て、松崎しげるレベルに日焼けした、暑苦しいタイプ。
facebookに日本人から友達申請がよく来るのだが、この日本語を訳してくれないか、と言う。明らかに胡散臭い。スマホをちらっとのぞき、それはスパムだと伝えると、
私は大阪でしばらく暮らしたことがある、ヘブライ語、アラビア語、英語、ドイツ語、イタリア語が話せる、日本語を少し教えて欲しい、こうしたコミュニケーションが好きなのだと言う。
大阪で暮らしたことがあるんだったら、カタコトの日本語を知らないはずはないだろう。
何が目的だ? さあて、ここからどう逃れようか。
強烈な西日の下、ただでさえ暑苦しい存在感のなのに、ものすごい接近度だ。
私は無意識にどんどん後ずさりしている。
明日は死海のほうへ行くのだが、一緒にどうか、案内しよう、ときた。
友達と約束があるから、と言うと、何時頃終わる?と言う。
オールナイトだからダメだ、と私も何を言ってんのかよくわからないが、
ともかくそんな感じで何とか振り切った。


最後の夜は、記者氏と女性記者の3名で、
ホテル近くで珍しく開いていた「CHAKRA」に。
http://www.chakra-rest.com




ここは東京でも通用しそうなこじゃれた店だ。
イタリアンテイストが加わっているが、カルパッチョにはザクロ、
アイスクリームにはタヒニをかけてあるところなどはこの地らしい。

女性記者の話で驚いたのは、イスラエルは遺伝子組み換え作物が奨励されているということ。
彼女は「パレスチナのほうがナチュラルな作り方で、不格好であっても美味しくて安いのでそちらへ買い出しに行く」とのことだ。
あとで、モンサント(アメリカの企業で世界中の遺伝子組み換え作物を牛耳っている)のHPを見たら、確かにイスラエルでの活動が出ていた。
ユダヤ教についてまだほとんどわかっていない私なのだが、
遺伝子を操作することは神を冒涜することにはならないのだろうか。
まあ、ならないからやってるんだろうねえ。


3 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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  2. ムシャりん2013年9月15日 22:32

    ■死海も行けてよかったね。ポンチョさん、ありがとう!

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