2013年9月14日土曜日

エルサレム旅日記2

エルサレム旅日記1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/1.html


9月3日(火)   

6時半起床。3時間ちょいしか寝ていない。
私の部屋は6階。窓を開けると、対面は住宅の建物で、
真向かい斜め下におっさんが二人。
左の家では洗濯物を干し中、
右の巨漢はなぜか裸(下半身はたぶん何か着ていると思われるが見えない)で
パソコンに向かっている。















夕べの水シャワーの一件もあって
ホテルの朝食には期待していなかったのだが、
おや、いいじゃないか。
ビーツのマリネやピーマンなどのグリル野菜、オリーブ、
ヨーグルトに近いタイプのチーズが数種類、キッシュのようなオムレツ、
ジャガイモのグラタンなど。
パンにつけるジャム類は、メーカーの小瓶ではなく、
タヒニ(練りゴマのようなもの)や甘くないピーナツクリーム、
粗めに刻んでシナモンの香りをきかせたリンゴなどだ。
ジュースはオレンジとレモネード。
ハム・ソーセージなどの肉類は一切ない。
豪華というわけではないのだが、特徴があっていい。
うむ、余は満足じゃ。




水道の件をフロントで伝えると、
修理担当者?に電話をかけた。私には特に何を言うでもない。
ダイニングのサービスの人といいフロントといい、
飛行機のCAと同様、どうも丁重な態度ゼロというか、
かといってラテンのようなフレンドリーさもなく。
イヤな感じとまではいかないのだが、もう少し笑顔が欲しいものですねえ。
その後、エレベーターでばったりシェフと出会ったので、
朝食が良かったと伝えると、笑ってくれたので少しホッとする。
記者氏いわく、エルサレムのレストランの中でも
ここのホテルのシェフはコシェルの料理の腕が良いので
有名なんだそうだ(事前にその情報は知らずたまたま選んだホテルだった)。


まず訪れたのは、メア・シェアリーム地区。
私が泊まっているホテルのある新市街側の北東、
ユダヤ教徒の中でも最も敬虔な超正統派と呼ばれる人たちが住んでいるところだ。
独特の服装、聖書にのっとった生活で、テレビや映画、パソコンなど
外からの情報を遮断した閉鎖的な世界。
ヘブライ語とともに会話はドイツ語系のイディッシュが使われている。
ユダヤ教の教義を学ぶことに人生を注ぎ、
生活の費用はもっぱら国の補助金などで得ているらしい。
避妊は禁止で、子だくさんの家族が多く、よって暮らしは貧しい。
物珍しさで観光客が訪れるが、肌の露出の多い格好でウロウロしたり、
やたらに写真を撮ったりすると、子供が石を投げてきたりするらしい。
ちょっと私も一人では心細かったので、記者氏に案内してもらうことに。


地区に一歩入れば、ああ、本当に別世界がそこにあった。
男は、黒い帽子にクルクルカールの長いもみあげ、黒いコート、白いシャツ、
黒いパンツあるいは短い丈の黒パンツに黒いストッキング。
女は頭をすっぽりスカーフで覆い、黒いロングスカート。
小さい男の子も顔の両サイドの毛がクルクルと長く、女の子は黒いロングスカート。
帽子のせいもあるだろうが男はひょろりと長身が多く、女・子供も痩せた人が多い、
やはり食生活の影響か、車も基本的には使わずよく歩くからか。
(しかし男の中には時折、恰幅の良い人もいるにはいたが
怒られないよう、コソコソと後ろ姿や遠巻きに写真を撮る私。
すいません、ちょっとだけ許してくださいと心の中でつぶやきつつ。








聖書を読みながら歩いている人までいた。
が、目立つのは、ケータイで話している男の多さ。
あっちでもこっちでもみんなケータイで話しながら歩いている。
へえ、ちょっと意外。ケータイのような俗世界の極みなアイテムは使っていいんだ?




ともあれ、こんなにも別世界な人々を直接見ることができただけで、
ここまで来た甲斐があった、と思う。

その後、記者氏とわかれ、一人でマハネー・イェフダー市場へ。

市場の前の通りは近年導入されたという路面電車が走る。
















目につくのは、八百屋が圧倒的に多いこと。
ザクロやナツメヤシ(デーツ)の生の実など、ここならではだなあ。
コリアンダー(香菜)やイタリアンパセリのような香味野菜も山積みになっている。
そしてスパイス、ドライフルーツやナッツ類、フェタのような白いチーズ、
ゴマのついた長い輪っか状のパンやデニッシュ・パイ系の甘いパン。
パンにはハエがたかっているが人々は気にしていない。
肉・魚屋はわりに少ない。
















タヒニ屋を発見。
フムス(ヒヨコ豆のペースト)などの中東料理に欠かせない食材だ。
私は自分でたまに作る時にはもちろんタヒニはないので練りゴマで代用している。
本場のものを自分の土産として一つ買っておこう。
店の奥には石臼があり、そこからしぼりとられたペーストが流れ落ちている。
味見させてもらうと、日本の練りゴマよりはさらっとした質感でしつこくない。
濃い顔でちょいイケメンの店員が、
タヒニだけのペーストをパンにつけて食べるのも美味しいよ、
とそのレシピを教えてくれた。
ふむふむ、タヒニと同量の冷水、つぶして細かくしたにんにく、
塩とレモン果汁少々で味をととのえる、と。
私が英語に弱いと気づいたお兄さん、ガーリックと言った後、
「わかるかな、どう言えばいいかな、こういう形をしたもので・・・」と
ガーリックとは何ぞや、をゼスチャーとともに何か違う言葉で
わからせようとしてくれている。
あの、確かに英語ダメですけど、いくらなんでもガーリックくらいは
アンダスタンドなのですよ。
ノートにメモっていたら、
「それ、日本語? 全然わからない、おもしろい字だね」としみじみ言う。
あの、私からしたら、ヘブライ語やアラビア語のほうが
まるきりわからんですけどね。おもしろいものだ。
タヒニは1個500㎖くらいで25シェケル(1シェケル=約27円)。
握手を求められたので応じる。
濃い顔のお兄さんは湿り気のある手だった。






人々の熱気で私も興奮気味のため、喉が乾いた。
ザクロのしぼりたてジュースを買う。小サイズで7シェケル、
まあ、そんなに安いというほどでもないが、
日本で生しぼりザクロジュースは滅多に飲めやしない。
甘酸っぱく、少し渋みのある後味で美味しい。




実は、ユダヤ暦で今年9月5・6日は新年のお正月(ローシュ・ハシャナ)にあたる。
5774年になるんだって。
そのため、この日はみそかだ。
正月などの祝日と、毎週金曜日没から土曜日没までの安息日には、
労働をしてはいけないんだそうで、店などが閉まるのはむろんのこと、
家庭でも火を使った料理さえ行わないようにするため、
人々は買い出しをして仕込んでおくというわけだ。

買い物をしているのは女性ばかりではなく、
むしろ男のほうが多いくらいだ。
先ほど見た超正統派の人や、キッパと呼ばれる小さな丸い帽子を
頭頂部にちょこんとのせている人など。
おっさんたちがこぞってドライデーツを買っているのがなんだかおかしい。
日本のおっさんが干し柿とか夢中で買ったりするの、見たことないものなあ。












種類が少なくあまり美味しそうと思えない魚屋に、なぜか結構な人が寄っていた。
ひょっとすると、新年には魚を食べるんじゃないかな。
スペインでもクリスマスのごちそうに魚を食べると先生が言ってたから。
(後で調べてわかったが、やはり魚料理を食べる習慣があるそうだ。
 家長はお頭を食べるんだとか)





続いて、歩いて20分ほどの旧市街に足を伸ばす。
朝は半袖では少し肌寒いくらいだが、昼前にはもうすでに強烈な日差しだ。
帽子とサングラスで防御するも、照り返しは容赦なく、
そして湿度は日本よりは低いものの、汗がダラダラ出てくる。
すでにかなり歩いているので、日焼け止めはとっくに流れ落ちているな。
おそらくこの旅で、肌は相当なダメージを受けたはず。
やがて浮上してくるシミのことを考えると恐ろしくなってくる。


エルサレムと言えば真っ先に思い浮かぶのが、
金色の岩のドームや嘆きの壁だろう。
岩のドームはイスラム教の預言者ムハンマドの昇天した所と言われる。
が、ドームの建つ神殿の丘は元々ユダヤ教の神殿があった所であり、
西暦70年にローマ軍によって破壊され、西側の壁が残った。
これらは1km四方の城壁で囲まれた旧市街の中にある。
そして、イエス・キリストが磔刑(たっけい)に処されるまで、
十字架を背負って歩いたとされる道(ヴィア・ドロローサ)や、
墓(聖墳墓教会)もある。
うう、見所がありすぎる・・・

8つある城門のうち、ヤッフォ門から入る。
ドームや嘆きの壁に到達するまでにはスーク(市場)を通る。
狭くゆるやかな坂道の両脇に土産物屋がひしめきあう。
スパイスや水タバコ、人々の体臭などが混ざった匂い。
嘆きの壁に行くには、まっすぐ突き当たりまで進み、右折、そしてすぐ左折、と
シンプルな道程なのだが、これまで私が見たこともない不思議な世界に惹かれ、
ついつい左の道へとそれてしまった。
なあに、焦せることはない、あえて迷子になることを私はとことん楽しんだ。
なかに入り込んでいくと、土産物屋だけでなく、
地元の人たちの生活に関わるさまざまな店も混ざっている。

旧市街には、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区、
アルメニア人地区があり、当然のことながら、
それぞれで店の品揃えや通りの雰囲気が変わる。

イエスが最後に歩いたとされるヴィア・ドロローサを、
信者のツアー客たちが祈祷を唱えながらドドーッと歩いてきたと思ったら、
その先では、イスラム教のアザーン(礼拝の呼びかけ)が拡声器で響いている。
所々で若い兵士が立っている。
所々で老婆が背を丸め座り込み、ブドウやハーブなどを売っている。
土産物屋の店主はみな、店先に椅子を出して座り、
退屈そうにケータイをいじっている。
私が通ると「チャイナ? ニイハオ!」と声をかけてくるが、無視すると、
しつこく追っては来ず、再びケータイに目を落とす。
ミントティーをトレーにのせた出前持ちの少年が私の脇を素早く抜ける。
いったい何を売っているのかよくわからないガラクタに埋もれた店。
ジイーッと死んだように寝ている布屋の店主。
一方で、八百屋は威勢良く「安いよ安いよ〜」みたいなこと(たぶん)を叫んでいる。
なんたる混沌とした世界だろう。











いつまで見ていても飽きないが、明日もまたチャンスはある。
そろそろ、嘆きの壁と岩のドームを見に行かねば。










嘆きの壁の場所に近づくには、荷物検査とパスポートチェックを
受けなければならない。
観光客で行列しており、入るまでに20分以上かかった。
炎天下、熱中症になりそうだ。

嘆きの壁は男女で祈る場が左右に分かれている。
男側のほうが写真的には絵になるのだが(女側はわりにバラバラの服装)、
私は入っていけないので、遠巻きな写真になってしまう。
新年の初詣に向けて、椅子などの準備をしているところでもあり、
雑誌などでムードたっぷりに撮影された雰囲気とは違って、少々拍子抜けした。
岩のドームも、おお〜立派だなあとそれなりに感動はするが、
さんざん雑誌や本で見ているのでそれを確認する作業のような気がしてしまう。
それに比べ、旧市街のなかの様子はあまりガイド本にも出ていないし、
人の動きは一瞬一瞬で変化するのでいつでも新鮮だ。
どうやら私は、人々の息づかいがリアルな、猥雑な市場のほうがそそられるようだ。




あまりの暑さで少々疲れた。
いったんホテルに戻ることにする。
観光客の多い道を避けて裏路地へ入ったら、
ヤッフォ門の方角がわからなくなった。
そこへ、たまたま通りかかった、
キッパを被った初老の男にたずねてみた。
自分もそちらに向かっているからと同行してくれた。
おじさんはイタリアはヴェローナの出身で、
長年アイルランドで暮らしているという。
ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台だよ、と言うので、
“ Why are you Romeo? ” と私が手振りつきで言ったら、
なんか知らないけど、かなり受けてしまった。
どういうわけか、私は若い男にはモテないが、老人には好かれるのだ。
イタリア人ならばひょっとしてと思い「スペイン語は?」と聞くと
そこそこわかると言うので、私はスペイン語で話をした。
が、答えがなぜか英語で返ってくるのと、
ロミオとジュリエット以外、あまりイタリアの話をしたくないふうだったので、やめた。
何か、訳あり人生なのかもしれない。

ヤッフォ門のそばで、無料で冷たい水が飲めるからと
私をインフォメーションセンターへと連れていく。
そこには、いわゆる冷水機があった。
ミネラルウォーターサーバーではなくて。
おじさんはプラスチックカップに注ぐと美味しそうに飲み干し、
さあ君も飲みなさい、と言う。
これの水源は何なのだ? 大丈夫なのか?
と思いながらも、断るのも悪い気がして、一気飲みしてしまった。


君はブッティストか?と聞かれ、返す言葉に詰まった。
適当にイエスと答えればそれで良かったのだと思うが、
これほど宗教と密着した人生を送っている
(あるいは宗教のために生きているとも言える)
人たちばかりが集まっている場で、
そのような問いは、本当に考えさせられる。


握手をして別れる。
私の経験では、外国人10人と握手すると7人は
タヒニ屋のお兄さんと同様ジトっと湿気を帯びた手をしているが、
このおじさんは乾いてやや冷たい手をしていた。
炎天下を歩いてきたのに。
年をとるとそうなるのかな。


ホテルに着き、シャワーで汗を流す。
と、その前にまずは蛇口を確認。
むむ。まだ水じゃないかあ〜。
電話で苦情を言う自信がないので、フロントへ行こうとドアを開けると
ちょうど室内清掃の担当らしき人がいたので呼び止める。
彼は左にひねった。瞬間ではないが少しすると熱い湯に変わった。
ああ、やはり左だったのか。
じゃあ夕べも壊れていなかったとか?
いやいや、夕べは左にもしばらくやったけど確かに出なかったのだ。
右より左のほうがはるかに冷たかったのだ。
しかしこの男はそんな経緯は知らないから、
なんでこんな簡単なことができないのか?とでも言いたげな表情だった。
オッケー、サンキューしか言えない自分が情けない。
 

夕食はホテルからすぐ近くにあり、
エルサレムのレストランの中でも上位に入るという「MONA」へ。

http://monarest.co.il/mona/en/




記者氏と、もう一人、現地駐在の邦人女性記者と3名で。
店のライティングがとても暗いため、
料理の写真がイマイチだった(なので1枚だけにしておく)。




アスパラガスとビーツ トリュフ風味のマスカルポーネ、
牛肉のカルパッチョやイカのソテー 、
ガラスの器に入れたチーズケーキなど西洋化したスタイル。
ワインはイスラエル産をグラスでオーダー。
この地のワイン造りは旧約聖書の時代にさかのぼる。
ワインの誕生はグルジアとかアルメニアあたりと聞くが、
あるいはレバノンのフェニキア人が西洋へ広めたとか。
ともかく、イスラエルも同様に歴史ある地であるが、
その後のイスラム教支配により禁止され、
本格的なワイナリーができるのは近代になってからである。
ゴラン高原を皮切りに、最先端技術を導入したワイナリーが
ここ30年くらいで創設されている。

日本に比べグラスワインの量が多い。お得だねえ。
周囲の客はみな、かなりラフな服装。
お洒落にキメるような文化がどうもまだないらしい。

女性記者に、ここでの暮らしぶりを聞くと、
とても肌にあっているそうで、楽しいと言う。
日本での、中東=とにかく危険というイメージと異なり、
普通に暮らしているぶんには、エルサレムはそんなに危険はないのだそうだ。
ヨーロッパではよくある、観光客を狙ったひったくりや首締め強盗、
ケチャップをかけてどうのとか、ジプシーに囲まれるといった話も聞かない、と。
特に日本人に対しては好意的とも。
確かにそれは私も感じた。
例えばマドリッドなど一人歩きを何度もしたことがあるが、
歩いている時にはバッグを持つ手に自然と力が入り、
背中にも目があるようにしていた。
道端では地図を開かない、ちょっと怪しいと思う裏路地には行かないようにした。
しかしこの街には、そういう緊張感を強いられる雰囲気はない。
なんだか緩いのだ。
そういえば、ドームの丘に入る門で、
私が着ていたチュニックのわずかに開いた胸元を門番みたいな人に注意され、
閉めようがないので長袖のパーカーをその場で着ていたら、
ジャパニーズイズストロング、アーユーストロング?アーユーカラテ?と
よくわからないことを言われたが、
日本人のイメージはおおむねそんな感じらしい。
つまり、小国でありながら世界の大国と渡りあえる立派な国だと。




ホテルの部屋に戻って窓を開けると、今朝の裸男が
相変わらずの姿でまだそこに座っていた。
“ Why are you nakedness? ”




ふと、その階下を見ると、
やはり上半身裸の若い男が窓辺にいて、
どうやら私に向かって手を振っている。 
裸族のアパートなのか、ここは。
サービスで手を振り返したら、男は一瞬いなくなり、
片手に酒の瓶を持って戻ってきた。
ゼスチャーで、酒を飲みに行こうよ、と誘っているようだ。
首を横に振ると、肩をすくめてデニーロ的なwhy?の態度を示す。
私は両手を合わせ頬に寄せて「ジュリエットはおねんねするので」と返す。
男はバイバイとあっさり引き下がった。
その昔、見城美枝子司会の朝の番組で、
今、このテレビに写っているこの家の方、観ていたら手を振ってください、とか
今朝はもうご飯を食べましたかなどと聞いて、手で丸を作って返したり、
ってヤツを思い出した。
あれって、今では考えられない番組だったなあ。
・・・と、何をエルサレムで思い出しているのか私は。


昨夜の睡眠不足のおかげでこの夜もすぐに眠りに落ちた。
エルサレムはまだサマータイムなので時差は6時間。
6時間だと時差はさほどきつくないので、
旅の最後まで時差ボケにはならずに済んだ。
そしてお腹もこわさなかった。
あの水は問題なかったようだ。




1 件のコメント:

  1. ムシャりん2013年9月15日 22:02

    ■やっぱり、敬虔なユダヤの人を撮ろうとすると、隠し撮りのアングルにしかならないよね、わたしもそうだった。■じぇじぇじぇー!!路面電車。知らんかった~。■日本の文字に興味を持ってくれた場合は、わたしは、相手の名前を聞いて日本語を書いてあげます。ひらがな、カタカナ、そして漢字(夜露死苦みたいな当て字で)を書いてあげて、(3つも文字を操るという)知的な日本人をアピールします。■それにしても観光地の話、少ないね。

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